東京地方裁判所 昭和40年(ヨ)2278号 決定 1966年2月10日
申請人 渡辺一訓
被申請人 横浜ゴム株式会社
主文
1、申請人が被申請人に対して雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。
2、被申請人は、申請人に対し金一一、九六〇円及び昭和四〇年一〇月以降毎月二五日限り金二七、六〇〇円を支払え。
3、申請費用は、被申請人の負担とする。
(注、無保証)
理由
第一、申請の趣旨
主文1、2項同旨(なお、2項の被保全権利は、昭和四〇年九月一八日以降の賃金の請求)
第二、当事者間に争のない事実
一、被申請人は、平塚製造所(平塚市新宿一五〇番地所在)その他数ケ所の事業所を有する会社である。申請人は、昭和二五年一一月一日から被申請人に雇傭され、後記本件解雇に至るまで平塚製造所タイヤ製造課に勤務していた。
二、申請人は、昭和四〇年八月一日午後一一時二〇分頃平塚市中里一八一番地石井昌吉方住居内に故なく入り込み、平塚簡易裁判所において右犯行につき住居侵入罪(刑法一三〇条)により罰金二、五〇〇円に処せられた。但し、右事実は、新聞その他により社会的に報道されなかつた。
三、被申請人は、同年九月一七日申請人に対し同日限り懲戒解雇する旨の意思表示をした。
右解雇の事由は、申請人の前記二掲記の所為は、被申請人の従業員賞罰規則に定める懲戒解雇事由「不正不義の行為を犯し、会社の体面を著しく汚した者」(一六条八号)に該当するというにある。
第三、当裁判所の判断
一、(一) 1.使用者が就業規則に基き企業の従業員に対し懲戒として解雇を含む不利益処分を課することは、企業の規律秩序に対する違反侵害を犯した者に対し不利益を与えその甚だしい場合にはこれを企業外に排除することが企業の維持発展の目的に合致する限りにおいて是認され得るものというべきであるが、労働者の企業に対する事実上の従属的地位に鑑み、また、近代国家が私的制裁を原則として禁止している点から考えても懲戒の事由、方法、程度を論ずるに当つては、従業員の地位、利益を不当に害することのないよう慎重な配慮を要し、懲戒が上記企業目的に必要な限度を越えて行われる場合には、これを懲戒権の適法な行使とみることはできない。
2.およそ労働者は、労働契約に基いてその労働力を企業に提供するに止まり、その全生活を企業の支配監督下におくものではないから、上述の意味の使用者の懲戒権は、就労に関する企業上の規律と本来無関係な従業員の企業外における私生活上の言動に及び得ないことを本則とする。ただ、従業員は、労働契約関係に随伴する信義則上の要請として、企業の秘密を洩らしその信用を損う等一般に企業の利益を害するような言動をしてはならない忠実義務を負うものと解されるから右義務に対応して、従業員の職務外における私的な素行、言動についても、それが企業の運営に何らかの悪影響を及ぼし、それによつて企業の利益が害され又は害される虞があると認められる場合には、その限りにおいてこれを懲戒の対象となし得るものということができる。しかし、その場合には、右言動が本来企業の規律から自由な(従つて、一般に企業規律への規範意識を伴わない)私的生活領域内で生じたものであるところから、これに対する懲戒権の行使は、企業上やむを得ない必要の限度をこえて従業員の私行に容喙することのないよう慎重になされなければならないし、就業規則の懲戒条項の趣旨についても、叙上の見地から合理的にこれを解釈すべきものである。
(二) 被申請人の就業規則の性質を有する従業員賞罰規則(乙第二号証の一部)によれば、懲戒の種類として懲戒解雇のほかけん責、減給、出勤停止等の八種を定め(一三条)、右各種の懲戒につき各懲戒事由を列挙しているが(一四条一ないし一六号、一六条一ないし一五号)、懲戒解雇事由として「不正不義の行為を犯し、会社の体面を著しく汚した者」(一六条八号)、「暴力を行使した者」(同一四号)とあるのを除いて、その他の懲戒事由はすべて従業員の就労自体に即した規律違反ないし勤務懈怠、企業の財産ないし人的組織に対する直接侵害、事業所内における非行等企業活動の領域内における行為でその性質上明らかに企業の利益を害し又は害する虞のあるとみられるものがその対象とされており、例えば事業所内でのとばく行為(一四条一四号)、会社財産の窃盗(一六条一〇号)など「不正不義の行為」と目され刑法上の犯罪をも構成する非行についても、企業内の規律、利益を直接害する場合だけを懲戒の対象として掲記していることが認められる。以上にみた従業員賞罰規則所定の各懲戒事由と懲戒の本質、限界につき(一)に述べたところとを照し合わせて考えると、本件懲戒解雇に適用された右規則一六条八号の「不正不義の行為を犯し、会社の体面を著しく汚した者」とは、従業員が道徳的、社会的、法律的にみて「不正不義」と目されるべき非行を犯した場合、それが職務上のものであると単なる私行上のものであるとを問わないけれども、ただそれだけでなく、右非行がその性質、程度からみて「会社の体面」即ち被申請人の企業としての社会的地位、信用を著しく傷つけ、そのためもはや被申請人に当該従業員との雇傭関係の継続を期待することが社会通念上困難な場合における当該従業員を意味するものと解するのが相当である。
(三) 本件懲戒解雇の理由とされた申請人の非行(上記第二の二)が前示規則一六条八号前段の「不正不義の行為」に該当することは多言を要しないところであるが、甲第四、第七号証によれば、右犯行は酔余に出たものであることが認められ、その処罰が少額の罰金刑に止まる点からみても、その罪質、情状において比較的軽微なものであつたことが窺われる。右犯行が新聞等により社会的に報道されなかつた事実は争がなく、右犯行の結果被申請人に企業上問題となるような現実の損害を生じた事実については、疎明がない。その他疎明上認められる被申請人の企業規模(資本金約五四億円、従業員約八、八〇〇名)申請人の企業における地位、職種(タイヤ工場蒸熱担当工員)等の事情をも考慮するならば、申請人は右非行により「会社の体面を著しく汚した者」に該当しないものと解するのが相当であるから、本件懲戒解雇は、懲戒規定の適用を誤つたものとして無効といわなければならない。
二、よつて、申請人、被申請人間の雇傭契約関係は引続き存続し、申請人は被申請人に対し右契約に基く賃金の支払を求める権利を有するところ、被申請人の従業員賃金規則(乙第二号証の一部)には、基準内賃金(本給、家族給、特別手当等)は、毎月一日から末日までの分を当月二五日に支払する旨が定められ、甲第三号証によれば、申請人が昭和四〇年五月から七月までに受けた基準内賃金の額は毎月二七、六〇〇円を下らない定額であることが認められるから、本件解雇の翌日以降毎月支払われるべき基準内賃金の額も右金額(但し、昭和四〇年九月分は日割計算により一一、九六〇円)を下らないものと推認できる。
三、甲第四号証によれば、申請人は被申請人の従業員としてその賃金により生活してきたところ、本件解雇後従業員として取扱われず賃金の支払を受けられないことによつて生活が困窮しているものと認められ、申請人の求める仮処分はその必要性がある。
四、よつて、本件申請は理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 橘喬 高山晨 田中康久)